前兆(漸澄)


死ぬな、生きろ

そして絶望しろ



 いま改めてこの日のことを考えてみる。


 思い返せばこの日は太陽が昇ってきたときから不幸続きだった。不幸も不幸が起こる前兆もその他諸々もたくさん起こりに起こった。


 例えば、朝に目が覚めたときからそうだった。起き上がろうとしてベッドの端に手を乗っけるとそこにはなにやらぐちゅぐちゅしたやわらかい物体が…………。


 嫌な予感に突き動かされて恐る恐る手元を窺い見るとそこには日本最大の嫌悪感を持つとされる昆虫、ゴキブリ、通称ゴキちゃんが死骸となって横たわっていた。


「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!?!?!?!?!?」


 声にならない悲鳴が僕の口元から出てきた。体は急速に固まり、目の前が真っ白になり、正常な判断を下すことができない。十分ほどそうしていると、なんとか僕は冷静になることができた。


 この手をどうしよう…………?


 洗うしかないか…………。


 僕はとりあえず洗面所に行き、石鹸を大量に使い、そしてそれでゴシゴシと手の色が赤を通り越して白くなるまで擦った。ちなみにそのとき自らの手で潰したゴキちゃんは掃除機で吸い込んだ。「スポッ」ていう音がなんか嫌だ…………。


 ほかにも外に行こうとすれば靴紐が切れた(昨日買ったばかりの新しい靴だったのに、だ)。他の靴に履きなおして、すこし歩けば道端に捨ててあったバナナを踏んで、滑って転んで「ずとん」という音を立てながら地面にぶつかった。


「……………………痛い」


当たり前のことだが。


 「いたたたた」と腰に手を当てていると僕の目の前を黒猫の大行列が通った。しかも大きさにして約一メートル半ほどの大きさなのだ。それが列をなして何百匹ほどが道を歩いている情景を思い浮かべてもらいたい。この上なく恐ろしいものではないか。


 その他にも極み付けに恐ろしかったのが、昼ごはんに双識兄さんの作った殺人カレーライスを食べさせられたことだ。


 僕は無識兄さんの家に一緒に住んでいるのだが、無識兄さんは今日遠くに出かけていた。だから僕と双識兄さん(双識兄さんも一緒に住んでいるのだ)とで料理を作るか食べに行くかのどちらかを選ばざるをえず、そして僕は外食を選ぼうと考えていた。


 しかしである。


 僕が買い物(日常生活に必要なものとかね)を済ませて帰ってくるとなにやらキッチンで音がする。嫌な想像が頭に浮かび、急いで台所に駆け込むとそこにはエプロン姿の双識兄さんがいた。


「――――――――――――ッ!?」


「おやお帰り。ちょうどカレーができたんだ。一緒に食べよう」


 そこには悪魔とも形容すべき物体がおいてあった。たしかに見た目はおいしそうだ。おいしそうなのだが、中身が、中身がそれに伴わない…………


「………………………………(冷や汗)」


「どうしたんだい?早く食べようよ」


「………………………………(無言で首振る)」


「さあさ、遠慮はいらない。さっそく食べようではないか、うん?」


 双識兄さんの笑顔が地獄の鬼のように見えた。そういえば双識兄さんの二つ名で地獄って言われてるんだったな――――。


「…………………………………ぱく」


 次の瞬間僕はこの世のものとは思えないほど心洗われる美しい川が見えた。頭が揺れ、いすの背もたれに倒れこむ。


「――に、兄さん。僕はちょっと気分が悪いから上で休んでおくね…………」


「大丈夫かい?何か悪いものなんか食べてないよね?」


 お前が言うな、お前が。


 僕は上に行って少し休んだ。生まれて二度目に脂汗というものを流した。(ちなみに一度目は初めて兄さんのカレーを食べたときだ)


 とにかく、ここまで不幸が、しかも不幸の前兆とされているものがこうも立て続けに午前中に起こったのだ(双識兄さんのは死をも覚悟した)。午後にも何かが起こると思うのは必然的だった。


 でもここまで不幸になるとは思っていなかったけどさ。


 でもここまで不幸にならんでもいいと思うよ。


 その不幸が滑り始めたのは、僕の携帯電話が鳴り、それを開いたときだった……。


『よお、ジーやん』


「お久しぶりです、潤さん。……でもその呼び方は止めて下さいよ――」


『私は、友達を愛称で呼ぶんだよ。いいじゃねえか。別に』


「爺さんみたいで嫌なんですよ……そんなに言うんだったら僕も哀川さんって呼びますよ」


『ふーん。へぇ、そうか。ジーやんは私の敵になりたいのか。いや、別にいいんだぜ。ジーやんと戦うのも面白そうだしな』


「すいませんでした!僕が悪うございました!」


 すごく恐いよ!


 想像しただけで恐ろしいよ!


 ちょっとした冗談のつもりだったのに……。


 僕が超特急で謝ると、残念だな、と本当に残念そうな声が受話器から漏れてきた。


 ……冗談ですよね。


 まさかもう少しで、殺しあうなんてことはなかったんですよね。


 ………………。


 僕に電話してきた彼女の名前は哀川潤。通称、「人類最強」だ。声帯模写に鍵空け、変装と何でもできるエキスパートで、職業に請負人をやっている。ちなみに哀川と苗字で呼ばれることに酷く怒る。


 彼女とは、世界の終わりを見ようとした男、狐面を被った男との事件で出会った。


 どうやら無識兄さんは以前から知り合いのようだったけど、いつ知り合ったのかな。


 僕が覚醒してからはずっとくっ付いてたから知り合う機会なんてなかったと思うのに。


「それで、どうしたんですか?いきなり電話してきて」


『ジーやんって、今から暇か?』


「え?今からですか?これから舞織ちゃんにいろいろと教えなくちゃいけないんですけれど」


『ふうん。なら、それをキャンセルしたら暇だな』


「………………」


『じゃあねーん』


 ――えらく強引だった……。


 暇かどうか聞く必要、なかったんじゃないのか?


 ………………。


 ごめんね舞織ちゃん。僕の代わりに軋識兄さんに頼むからさ。軋識兄さんは一賊のなかで一番普通な人だから分かりやすく教えてくれると思うよ――。


 とまあこんなふうに、潤さんに誘われた(命令された、でもオッケイ)ので外に出た。しかし、外に出ること自体はたいしたことないのだが、ある理由により、後にこの行動を深く後悔することになる。


 ……まあ家から出なかったら出なかったらで、違う意味で後悔する(させられる)んだろうけどさ。


 



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